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ashap122

2011年02月16日

サムトの婆

『遠野物語』でもっともさみしい話はなんだろう・・・と思ったときに、ふっと浮かんだのがこのお話。

『遠野物語』第8話「サムトの婆」です。

「黄昏に女や子共の家の外に出て居)る者はよく神隠)しにあふことは他の国々と同じ。松崎村の寒戸と云ふ所の民家にて、若き娘梨の樹の下に草履を脱ぎ置きたるまゝ行方知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或日親類知音の人々其家に集まりてありし処へ、極めて老いさらぼひて其女帰り来れり。如何にして帰つて来たかと問えば、熟女に逢いたかりし故帰りしなり。さらば又行かんとて、再び跡を留めず行き失せたり。其日は風の烈しく吹く日なりき。されば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、けふはサムトの婆が帰つて来そうな日なりと云ふ。」

遠野をはじめて訪れた2007年早春、わたしは遠野駅前で借りたレンタサイクルで近場の観光名所をまわろうとした。
しかし、甘かった・・・折りしもわたしの滞在中、「暴風注意報」にて遠野市内はものすごい風。

自転車で行けた名所は「五百羅漢」のみ。駅から15分程度の所だった。
いったんは、さらに「千葉家の曲屋」に出会い観光案内地図では約55分とあったが、強風にあおられて予想外の時間を費やす。千葉家への道のりの最後の難関となっているのは、緩い上りがどこまでも長く続く坂道。ここをレンタサイクルのママチャリで越える自信はない。残念ながら坂道の途中で千葉家へ行くのは断念し、すごすごと駅まで引き返した。

「サムトの婆の石碑」には翌日、徒歩で向かう。

この日もひどい風で、地図を片手に橋を渡っていると、風で橋がわずかに揺れ動いているのが足の裏から振動で伝わってくる。
農村風景のなかの、人家や倉庫や畜舎の固まった地区に差し掛かる。
もがり笛の鳴りひびく無人の見知らぬまちなみに、異次元の世界に迷い込んだような恐怖を感じる。

とにかく淋しくて風が寒い・・・。

地図ではそこまで遠いとはおもえなかったが、片道四十分はかかったのではないだろうか。
登戸橋近くの「サムトの婆の石碑」までやってきた。
石碑が立っているだけの、荒涼とした景で、橋を降りて、土手に行き、石碑の写真を撮る。

昔はここにサムトの婆の舞台となったくだんの家が建っていたという。
川沿いだし、さぞや住みにくい場所だったと思う。

サムトは漢字だと「寒戸」と書く。遠野の中でもとりわけ寒々とした場所だから、昔の人がそんな名前をつけたのかもしれない。
子どもが外で遊んでいれば神隠しに合っても不思議ではない不気味さだ。

何とか「サムトの婆の石碑」にたどり着き、旅の目的のひとつを満足させることができた。
ちょうど、東京に帰る日だった。

遠野駅ホームで釜石線の電車を待っているときも、「暴風注意報」が出て電車が大幅に遅れた。
はじめての遠野で、まるでサムトの婆の荒っぽい「歓迎」を受けたかのようだった。



Posted by ashap122 at 17:02│Comments(0)
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